みたもの感想文。

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小田さくら『愛して 愛して 後一分』 からみえたもの。

 

 『ハロドリ。』の「ONE PLUS ONE」というコーナーで、平山遊季さんと小田さくらさんが披露した『愛して 愛して 後一分』。この小田さんがとても面白かったので、そこから見えてきた私なりの『愛して 愛して 後一分』(以下、『愛して~』と略)についてまとめてみたいと思います。感想というよりも、小田さんが見せてくれたものへの個人的な解釈(とその過程)。私見です。

 

 

〇 第一印象と歌詞

 第一印象として感じたのは、『幼さ』、『可憐さ』、『危うさ』、『純粋さ』、『色香』、『相手の見えなさ』、そしてこれらと耳に入ってくる言葉との『アンバランスさ』。よくわからないなー、と思いました。いや、わからないというか、不思議。何かがあるのはわかるのだけど、それが掴めない。なぜこうなっているのか、何があるのか、何を見ているのか。そういうものがわかりたくて、まずは歌詞をちゃんと読んでみることにしました。
 歌詞は映像にも字幕として出ていたので、なんとなく、結構直接的なきわどいことを言ってる感じがするな、とは思っていました。その印象を頭に残しつつ読んでみると、それはやはりその通りで、でもそうするとますますわからない(笑)大人の歌詞、というのでもないけれど、言ってみればやんちゃな歌詞。このやんちゃな歌詞を言葉としてだけで見た時に想起するものと小田さんの見せてくれたものから見えたものがかなり違うように私には思われました。なんというか、小田さんから見えた主人公は育ちの良い、比較的裕福な家の少女で、純粋さと同じだけの残酷さが静かに危うさを湛えているような感じがしました。歌詞の字面から窺える感情と欲情が突っ走るストレートなやんちゃ感とは対照的なものだと私は思います。だからきっと、小田さんはこの歌詞をステレオタイプに表したのではないのではないか。もっと他の可能性を探ったのではないか。そう思うようになりました。
 では、その表出しているものからどんな『愛して~』が見えてきたのか。

 

 

〇 見えない部分

 トーク部分で平山さんが話していたので、過去のモーニング娘。の『愛して~』の映像と高橋愛さんのソロアングルver.映像を見てみました。なるほどー。と思わず声が出ました。歌詞をすごくわかりやすく伝えているというか。高橋愛さんのは獰猛な肉食獣といった感じ。このわかりやすさがこの歌の中で流れている時間の流れのイメージを見せてくれました。とても刹那的というか、とにかく『今』『この瞬間』。例えば部屋の一室でリアルタイムに起きている心理的、物理的な動きが見えてくる。それなら小田さんの『愛して~』はどうなのだろうと思うわけです。

 最初に考えたのは相手と過ごす『今』と相手との『これまで』の時間のオーバーラップ構造。『今』を過ごしながら、出会いから今という『過去』を振り返る。これからのことはわからない。どうなりたいのかも考えていない。ただ、『今、この瞬間』に溺れる快感を享受する。でも、不思議なことに、それに見合うほどの表面温度の高さは感じられなかった。小田さんの表情を見ていると、どこか冷徹な部分が見えて、どうも恋をしている感じがしない。もっと正確に言えば、目の前の相手に恋をしているような感じがしない。どんな相手なのか、何に惹かれたのか、何があったのか、どう思われているのか。確かにそこに何かはあるのに、靄がかかっているように見えない。見えないということは、自分の中できっとミスリードをしている。

 

 

〇発見と広がり

 それなら逆に、何かあると思わせるものは何なのだろう。それはひとえに小田さんが見せてくれるものそのもので、その歌であり、表情であり、目の色であり、ダンスや形の所作であるのだと思います。その中に確かに『愛して~』の主人公がいて物語がある。私に見えるのは、17歳から19歳の少女のイメージ。まだ幼さがあって、可憐で清純で純粋。それなのに何とも言えない色香を放って、それに中てられた人を強烈に惹きつける。そのアンバランスさは魔性となって少女自身に危うさをはらませ、その誘惑に数多の人が堕ちていく。小田さんの『愛して~』を何度も見ながら、連想するようにここまで考えてはっとしました。ああ、この少女はカサノヴァなんだ。そう思った瞬間、視点ががガラリと変わり、たくさんのピースが一気に目の前に現れてきたような気がしました。少女の前にいるのは恋の相手というよりも誘惑のターゲット。たくさんのターゲットを次から次へと誘惑していくから目の前にいるであろうはずの相手が見えなかったのではないか。

 ではなぜ少女はそうなってしまったのだろう。それは「恋に焦がれてた あの頃と まったく違うけど」という歌詞に見ることが出来るように思います。今を語る中にある数少ない過去の恋を振り返る言葉。「恋に焦がれてた」とその時の自分自身を自虐的に否定しながらも忘れられずにいる。叶わなかった、おそらくは初めての恋。その恋は少女の中できらきらと、それはもうきらきらと輝き続ける。その一方で選ばれなかった悲しみにその恋を否定する。否定するほどに初恋の存在感は大きくなり、それに抗うために初恋以上のものを探しながらも、あれ以上のものは無い、あれ以上の人はいないと思っている。きっとターゲットとなった人たちは皆、忘れられない初恋の人にどこか似ていたりするのだろう。そうだ。こうしてたくさんの人と出会っていけば、またあの人にたどり着けるかもしれない。欲望と諦観、自虐と自己愛、逃避と執着。少女をカサノヴァにしたのはきっとこれだ。なんて面白い。思い至った可能性に、私は興奮しながら再び小田さんの『愛して~』を観てみることにしました。

 

 

〇見えてきたもの

 あくまでも私が脳内で勝手に感じたことではありますが、以下、私が見た小田さんのパフォーマンスをストーリーの箱書きっぽく書き出してみました。

 

前奏:少女とターゲットとの出会い。狙いを定める

Aメロ:少女の誘惑

Bメロ:過去回想(誘惑は同時進行)。叶わなかった恋。選ばれなかった自分。回想明け「あの頃の自分とは違う」

サビ:少女に夢中になるターゲット。誘惑される悦楽。求められる快感。満たされる承認欲求。優越。オーバーラップする初恋。同時に、もしかしたら今度こそ(忘れられるかもしれない)と微かに期待する少女自身の矛盾

間奏:交錯する過去と現在(過去と現在の比較)。ターゲットへの失望。初恋への強烈な渇望

ラスサビ:やっと手に入ったと思わせた直後の拒絶。ターゲットが傷つく様までが快楽

後奏:ターゲットとの別れ。新たなターゲットとの出会い。狙いを定める。繰り返される恋

 

 これを骨格に少女の心の動き(あるいはターゲットの動き)を追いながら、「小田さんの見せ方」と「歌詞」を道しるべに、私が感じた『愛して~』のストーリーが見えてきます。

 前奏の小田さんの少し汗ばんだ感じや髪さばき、衣装の裾の動きは夏の強い風を思わせて、ターンの直前に一歩踏み出す足と表情には出会いの衝撃と一瞬の躊躇いを感じます。けれどもターンのその後には出会った相手をターゲットとして狙いを定めている。ふとしたきっかけで交わした言葉はとても魅力的で、どこか初恋の人を思わせる。跳躍してかかとを鳴らすと少女の誘惑が始まります。

 「愛して 愛して 後一分」。我欲の強さとは裏腹に、誘惑はあくまでもさりげなく、それとわからぬように。「恋に焦がれてた あの頃と まったく違うけど」。あの頃に選ばれなかった恋に恋するような少女ではもうない。少女は変わった。積極的になった。選ばれるために変わった。

 サビに入った直後の小田さんのターンで状況が変化したような気がしました。やわらかく回転する姿は、少女が夢中になったターゲットをやんわり躱しているように見えます。ターゲットからのあからさまな誘惑を楽しむ少女。求められる快感に承認欲求は満たされ、その優越感に自分が価値のある存在であると実感する。自分に夢中になる人の姿を見るのはなんと甘美で素晴らしいのだろう。小田さんはたくさんの薔薇の花を抱えるように「全部ステキ」と歌います。この恋が本物であればいいのに……。酔い痴れるほどの悦びに少女は微かな期待を寄せる。

 けれど、ふとした拍子に少女はターゲットに失望します。生まれた疑念は少女の目を冷徹にし、初恋の人の姿を鮮明に呼び起こさせ、そしてこの恋の目的を思い出させます。

 別れを決意した少女は何一つも気づかないターゲットを観察しながら探ります。ターゲットが出来るだけ傷つくようなシチュエーションとタイミングを。いつ、どこで、どう過ごしていても、少女の脳裏には初恋が重なり、重なるほどにターゲットへの気持ちは冷たくなっていく。そして、今日こそ関係性を前に進めようと意気込むターゲットに少女はついにタイミングを見つけた。その先に起こることを想像して、少女は眩暈がした。小田さんが右手を上に伸ばす様は少女が初恋を求める様で、体を沈ませ髪を落とす様は少女が初恋に堕ちていく様に見えました。そして、再びの「全部ステキ」。これから見られるであろう光景に、少女の胸が高まる。ターゲットの想いに応え、全てを受け入れるような微笑。ターゲットにやっと少女を手に入れたと思わせたその瞬間、少女はターゲットを突き放す。冷たく拒絶する。

 ターゲットから去っていく少女。あと何人と出会えばあの人にもう一度たどり着けるのだろう。残暑、少女は新たなターゲットと出会う。少女の目の色が変わる。

 

 

〇薔薇のような恋

 「薔薇のような恋」というのが象徴的な使われ方をしているように思います。薔薇のような恋。どんな恋なのか。薔薇のような、ということで連想していくと、単純に咲いているイメージで、華やか、派手、情熱的、高貴とかでしょうか。ただ、別れまで、と考えた時に薔薇の散り方を思ってみました。薔薇って種類によって散り方が違うらしいんですけど、はらはらと花弁が落ちるもの、ドサッと一気に花が崩れ落ちるもの、花が枝についたまま枯れて朽ちていくもの、があるそうです。何となくですが、小田さんのパフォーマンスで私に見えた『愛して~』はこの三つの散り方全てが同時に存在しているように思いました。

 

 

 以上が、小田さんの『愛して 愛して 後一分』を見て、私に見えたものでした。実はあと2パターンくらい見えるものもあるのですが、それはもう蛇足になってしまうので書きません。小田さんのパフォーマンスはすごく具体的な感じがするのに、想像するための余白はしっかり残してくれているのがとても素敵で大好きです。同じパフォーマンスでも視点やスタンスを変えて見ることで色んな画が見えてくるし、同じものでもパフォーマンスを変えたらまた違うものが見えてくる。見せてくれた分だけ受け手である私たちは物語が紡ぎだせる。それはきっと無限と言ってもいいのだと思います。だから芸能(芸事)は面白いし、その面白さを小田さんが見せてくれるのがとても嬉しくてワクワクします。


 そう言えば、小田さんがブログで『私が好きな起承転結がはっきりした小説みたいなイメージの「愛して 愛して 後一分」を歌いました!!』と言っていましたが……小田さんのイメージとは全く違うものになってしまっていると思うので、何というか勝手に色々捏造してすみません、という気持ちでいます(苦笑)


 あ。後ですね、いらない情報を付け加えておくならば、私が見た『愛して~』の主人公をアニメキャラに例えたら、少女革命ウテナの姫宮アンシーだと思います(笑)