2026年10月4日、静岡県富士市の富士市文化会館ロゼシアター大ホール/同年10月12日、NHK大阪ホールで行われた『モーニング娘。’26 コンサートツアー秋「 超 Heartful 11 」』を観てきました。今ツアーは小田さくらさんの卒業ツアーです。ツアー自体は9月から始まっていましたが、私としては静岡で漸くの個人的初日。また、静岡では昼夜共にBパターンだったので、大阪と合わせてA・B両パターンをみることが出来ました。もうね。それはもう、それはそれは素晴らしい内容のものでしたよ。
いつも本当に本当に一生懸命にみているんです。脳も心も五感も、何なら六感も七感も八感も、魂も使って。まさに全身全霊で。ああ、それなのに、こんなに真剣にみているのに、今回はわからないことやおぼろげなことが多すぎる。これじゃあ鑑賞回数が全くもって足りない!そう思って静岡公演の後、スケジュールを睨んで、どうにか行けそうなところを追加しました。
それでは、いつもの如く前置きを。
以下の文章は私が私の為に書く甚だ個人的な備忘録です。私がみて、きいて、感じて、思った、考えた。ただそれだけの甚だ偏ったものです。なので、違っていることが多々あるかと思います。何かを決めつけるものでも否定するものでもありません。当然のことながら公演の内容にも触れていきます。読んでくださる方にはお含みおきください。
……『完璧』だ。
目の前で展開していく冒頭の4曲に、そう思ったのです。
そしてその『完璧』は、公演の始まりから見ている最中、終わりまで、ずっとずっと続いていったのです。『完璧』の連続。ずっと、ずっと、ずっとです。私は小田さんが大好きなので、小田さんを見る者の視点として、ステージに次から次へと現れる『完璧』に息をのみました。その『完璧』の『美』に、体の奥底からは悦びと興奮が沸き起こり、そのうねりに体中どころか心の深淵までを席巻され、酔い痴れ、嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて。どうにかなってしまいそうでした。『完璧』。この言葉だけで私が感じたすべてが伝わるなら……。でも、『完璧』という言葉は意図した意味とは違って伝わることの多い言葉でもあると思うのです。だからもう少しは付け加えなければ。とは言え。しかしながら。はぁ、まったく。何から書きましょう。悩ましい。本当はね、『完璧』としか書きたくないんです、もう本当に(笑)
今回の『 超 Heartful 11 』のバックグラウンドとして私が知り得た情報としては、セットリスト頭の4曲は小田さん自身がこだわりにこだわって自身の意見をしっかりと反映させたものになっているということ。曲は言わずもがな、画面に映し出されるメンバーの名前の文字の出し方と言った部分に至るまで、すべてお願いしたとおりに作ってもらったのだとか。そして、セットリストについても小田さんが一度組んで、そこから手が入れられたというニュアンスのことをMCで言っていたと記憶しているのですが、これはちょっと確証がない。ただ、各メンバーのソロ曲については小田さんが選んだ、と。唯一、弓桁さんだけは自分で「これが歌いたい」と持ってきたとのことで、小田さんが選んだ曲ではないとのことでした。情報弱者の私としてはこのくらいのことしか知らないのだけれど、これを踏まえて見るとものすごいのです。特に小田さんの意見が反映されているという冒頭の4曲。その構成力、構築力、美的感覚、バランス力、実行力。体現力。これ以上ないと言う程の美しさの均衡。演出までと言うことは、あのステージのセットも小田さんが考えたものと思ってもいいのかしら。ブロードウェイミュージカルのような外連味が利いていて、比較的身近なところで言えば個人的には『ムーラン・ルージュ!』を想起させられます。この外連味の美しさが象徴的だと思うのだけど、何を象徴するのかと考えた時に、そこはやはりこのツアーで『モーニング娘。』を卒業する『小田さくら』という人を象徴するんじゃないかと私は思ってしまうわけです。
『 超 Heartful 11 』の演出は舞台を観る人の演出だと私は思っています。小田さんは宝塚歌劇を観る人だから、その影響があるのかもしれません。
舞台を観る人の演出。そう思うことのひとつに画面構成の美しさと言うものがあります。冒頭からの話をすれば、群像劇の面白さとでも言いましょうか。一つの画面(ステージ)の中でメンバーがいくつかのグループに分けられて、曲の進行とともに(同じ時間軸の中で)それぞれのグループが独立して物語を進めているような美しいシンメトリーの構図。その構築がとても美しいのです。絶妙にそれぞれのグループ、メンバーが過不足なく配置されていて、動く立体としても静止画としても、空間の余白までが美しい。それは単に美しいというだけではなく、その世界の奥行や温度までをも感じるような気がしました。
とは言え、公演全体が劇的要素を持った演出によるものかというのは、正直まだ私にはわからないところなのです。だって、静岡で見た時は、全体が劇的要素をはらんでいるかもしれない、とまでは思わなかったから。『SONGS』は特別なギアを入れているとは思いましたが。(『SONGS』については後述します) あれ?と思ったのは大阪でAパターンをみた時だったんです。山﨑愛生ちゃんの『恋人』をみたときです。セットリストだけ見ていた時は(私はネタバレOKなタイプなので、セットリストなんかはサッサと見てしまいます)、小田さんからの課題かな、くらいにしか思っていなかったんですけど。実際に観て驚きました。だってあんなの完全に芝居じゃないですか。1曲目のセクシーキャットから椅子の演出があって、ステージセットの上段部分に椅子が置かれているわけですが、この椅子をソロで使っているのが3人ほど(おぼろげ)いるのです。小田さん、弓桁さん、そして愛生ちゃん。この愛生ちゃんの椅子の使い方が面白かった。愛生ちゃんが歌っている間、ステージセットの上段中央に置かれている一脚の椅子にずっとスポットライトが当たっているんです。愛生ちゃんはその椅子に向かって歌い上げる。するとそこに、スポットライトのあたった椅子に、歌詞の中の『君』が現れたんです。更にその『君』は愛生ちゃんの歌と共に椅子に同化していき、ついには椅子そのものが『君』になる。時間が進行していく中でリアルタイムの心内表現がなされるような演出は、長い物語のワンシーンとも、短編の物語そのものとも観ることが出来ました。これはもう愛生ちゃんの力と『恋人』の演出が完璧に融合した妙技だと思います。そう。だからここで「あれ?」と思ったのです。もしかして、他にもこういうのが隠されているのか?ソロが個別劇場だとしたら、これを取り込んだ『 超 Heartful 11 』としてのショー全体像はどうなってるんだ?AとBは繋がりのある双璧か?なんだなんだなんだなんだ?なんだこれは!?わからない!?なんかものすごいってことしかわからない!え!?面白い!楽しい!小田さん大好き!!!と脳内は興奮と歓喜で大混乱ですよ。もうめちゃくちゃ。私の脳内はめちゃくちゃです。前述した通り、この上なく必死に見ているのに、記憶がおぼろげだなんて、私史上前代未聞の出来事です。みることの出来る残り少ない公演でなんとかその全容に近づきたいと思っていますが。……出来るかしら。『 超 Heartful 11 』は余りにも壮大で繊細だから、私の思考では追いつかないかもしれない。だけど、全容と言わずとも、せめてその全貌でも見ることが出来たらいいなと思います。小田さんが大好きです。
さぁ!小田さんのことを書きますよ!ここまでもほぼ小田さん大好き視点で書いていますが、ここからはもっと微視的に行きたいと思いますですよ!だって私は小田さんが大好きだから!
『 超 Heartful 11 』の小田さんのパフォーマンスは、小田さんの美意識と美学が美しさの形として結晶したものだと思うのです。考えうる限り完璧に完成されたのではないかとさえ思ってしまいます。所作の美しさなんて必然を感じさせるのです。小田さんの描く直線も曲線もすべてが完璧。それより上でもそれより下でもない。他に何を加えようも減らしようもない。たった一つの、たった一つしか存在しない美しい『完璧』のライン。ステージの小田さんはステージの小田さんとして『完璧』そのものなんです。今、小田さんは『モーニング娘。の小田さくら』として、ひりひりするほどの凄まじいところにいるのだと思います。そこはあるいはふわりとした穏やかなところであり、もしくは胸が熱くなるようなキラキラと輝くところであるのかもしれません。どんな線の『完璧』も寸分たがわず描き出す。決して違えない。どんな僅かなズレもあり得ず、もはや小田さんの動きが描き出すものが『正解』であり『完璧』。それ以外は無い。無か無限か。そして、この無も無限も、小田さんの掌中にある。無も無限も、小田さんが生み出す。私はそんな風に感じるのです。こんなことがあるのかと、私は畏敬と共に畏怖さえ抱いてしまいます。小田さんが大好きです。
格好良さもかわいさも、可憐さも、純粋も、綺麗も、素敵も、華麗も、艶やかも、輝きも、煌めきも。小田さんを表す形容詞の全てが『美しい』に集約していく。それも『完璧』ゆえの『美』に、です。ここで見せてくれているこれは、『モーニング娘。の小田さくら』の極みだ。そう思いました。グループの中の一人として、これ以上の存在の仕方はないのではないだろうかとも思います。グループにいるものとしての最上限と言いましょうか。なんというか、個人としてもっと出来ることがあっても、それをグループに持ち込んだ時に不和を生じてしまうことがあると思うのです。手を抜いているということではなく。小田さんはグループの力を最大限に引き出すことの出来る構成員としての最上限に在るように思いました。今、やるべきこと、できることの全てをやっている。そんな風に私には見えるのです。かといって、コンサートって毎回同じものがみられるわけでもないじゃないですか。その日その日の調子が違うのは当たり前ですから。だから、『完璧』と言う基本があった上で、小田さんがそこから毎回どんな輝きをみせてくれているか、だと思うのです。色んな色があると思うんですよ。色んな強さがあって、煌めき方も違っていて、今できることの全てを注ぎ込んでいて、ただ、『完璧』は揺るがない。こんなものがみられると思わなかったんです。だって、こんなもの、みたことがない。こんなすごい、素晴らしい、凄まじい、呼吸を忘れそうなほど衝撃的に美しいものに今生で出会えるなんて。『完璧』なんです。そしてその『完璧』の中に、『モーニング娘。の小田さくら』を体現する小田さんの魂の燃焼とその中で結晶化した美しい核の煌めきと輝きを感じるんです。
私がこれまでの小田さんの言葉で印象に残っているものの一つに「モーニング娘。には『正解』がある」というものがあります。私は『 超 Heartful 11 』をみながら、この言葉を思い出していました。小田さんが体現するモーニング娘。の理想の形はあくまでもこの言葉に象徴されるもので、それを極限までもっていき、『完璧』と言う形にして提示しているのが、モーニング娘。’26の秋ツアーとしての『 超 Heartful 11 』なのではないかと思います。それでも、いや、それだからこそ、ですね。この公演には始まりから終わりまで、ずっと小田さんの心を感じます。小田さんがステージにいない時でさえ、所在のわからない金木犀の香りの様にステージから何かの拍子にふわりと小田さんの心が香るのです。理想や想いと言うものは、自分で確固たるイメージを持っていなければ、その姿をきちんと誰かに伝えて共有することはできません。小田さんはそれが出来たのだと思います。だからこそ『 超 Heartful 11 』は生まれ、生きているのだと思います。小田さんは小田さんがモーニング娘。の理想として考え、思い、目指す、グループとしての在り方と美しさにまで、今のモーニング娘。を持っていけているように私には見えます。それは、小田さんの愛と、メンバーの愛と、小田さんを取り巻く人たちの愛の賜物であると思うのです。みんな小田さんが大好き。私も小田さんが大好きです。
そして、これは毎度思うことでもあるのですが、「モーニング娘。の正解」に至るまでに絶対的に必要なものがあると私は思っていて、それがフィジカルの強靭さなのです。もうね、どう考えたってこれがないと辿り着けない。今ツアーも恐ろしい運動量なのです。配置のバランスに対する平等性なのか何なのか、「え?そこからそっち通ってあっちまで移動するの!?」みたいなことも多い。にもかかわらず集中力が途切れない。最初から最後まで。ここからきついだろうなと思われるところからも、なお一層ギアをあげて、レッドゾーンまで噴き上げて、魂を燃焼させてフルパワーで疾走するんです。それなのにコントロールが乱れない。確かに転びそうになってヒヤリとすることもあるのだけど、「そんなに足伸びるの!?」「その一歩大きくない!?」と思わせるようなカバーをしてしまう。そこには気力と体力が螺旋状に上昇していくような身体能力の底力とそれを支える基礎があって、これが皆にあるからこそ「モーニング娘。の正解」は実現することが出来るのだろうと思います。だから、キツそうだと感じた時、辛そうだと思った時、私もなお一層のギアを入れて、レッドゾーンまで噴き上げて、届け!と祈って、「まけるな!」と、応援する心をこれからもおくり続けたいと思うのです。
『 超 Heartful 11 』では、新メンバーの4人以外の各メンバーによるソロのコーナーがあります。A・Bとそれぞれ3人ずつの入れ替わりのプログラムの中で、小田さんはA・B両方で『SONGS』歌ってくれています。小田さんの歌と声を存分に堪能できる時間です。小田さんだけをみて、小田さんだけを聴いて、もう全部が小田さん。小田さんに溺れることの出来る時間。至高です。
凄いんですよ。体中の血が沸騰してるんじゃないかと思う程に体も脳も心も魂も熱くなっていくんです。目が眩むほどの眩暈を感じてくらくらしているのに、小田さんの圧倒的な完璧と美を見逃すなんてことはあり得なくて、妙に自分の芯が冴えわたっているんです。炎と水。燦と朧。熱と冷。そんな真逆の感覚が私の中で同時に存在していて、熱狂しながら、且つ冷静に小田さんのステージをみていました。ああ、めちゃくちゃ格好良い。なんて美しさだ。体の芯が抜けてしまったのではないかと思うほどに恍惚としてしまいます。
そう。小田さんの『SONGS』です。ミュージカルのような劇的要素をしっかり取り入れているのにミュージカルそのものにならないのは、歌に、歌詞に、その言葉に、声に、所作に、『小田さんの心』が入っているからだと思います。暗転したステージに満たされるラベンダー色の照明。暗がりから浮かび上がるのは上段ステージ中央に設置された椅子に座る小田さん。気高く、誇り高く、強さと弱さが混在する不安定さの中で凛と存在する意志の煌めき。座ってそこに在るという数秒で空気を変え、動き出した途端に時間を掴み、第一声で空間の全てを隅々まで支配する。その場は小田さんの思いのままだ。そう。『SONGS』を歌う間、小田さんは思いのままに世界を支配していた。その歌で、声で、動きで、心で。目の動き、指先の動き、関節の形、つま先が板につく速度、前に踏み出すためにぐっと踏み込んだ時の足の指の角度、髪がふわっと舞う様子、袖口や裾の衣装の翻り。ステージの小田さんをみて感じるものすべてが必然で、その必然が圧倒的な美しさで私を飲み込み支配してくる。小田さんはステージを客席をその全部をそのパフォーマンスで支配していました。指先が少し動いただけで光の粒子が弾けて零れる。ふわりと回ればそこには光と共に無限の花びらが舞い上がる。曲の音源さえも小田さんがそこにいるからこそ鳴っている音であるように思われました。小田さんが鳴らしているのではなく、小田さんがいることによる必然として鳴っている。事象が小田さんにひれ伏している。そう思わせるほどの圧倒的な『完璧』の『美』。さもすれば非現実となりそうなその中で、しかしながら小田さんは『SONGS』を受け手から遠いものには決してしていなかった。
小田さんの『SONGS』は、一人の強い女性が独白しているようでした。それは小田さん自身のものの様でもあり、客席にいた全ての人のものの様でもあり、もっと言えば世の人たちのものの様でもあったと思います。小田さんの声が歌詞のフレーズでその声音を変えていくんです。力強く、甘く、切々とその心情を吐露して、けれども光に向かって懸命に手を伸ばす。もがく、あがく、抗う、そして飛び立つ。愛に向かって、愛をもって、愛とともに、一心に、飛翔する。その歌を聴いた人たちは、見た人たちは、きっと自分の中にある何かしらの感情を重ねたのではないかと思います。重ねて、共鳴して。小田さんの歌の虜になる。小田さんが大好きだ。私は小田さんの歌う姿に、踊る姿に、ずっとドキドキしながら、繰り返し繰り返し、そう思っていました。
もうひとつ。私はここでの小田さんのバランスと言うのが絶妙だと思っていて、ここで『モーニング娘。の小田さくら』に『小田さくら』を入れ込んでいるのを感じたのです。フィクションを演じつつ、そこに自分の本当も忍ばせて、フィクションにノンフィクションのリアリティーを出していく。まるで作家みたいだと思いました。小田さんは文章のお仕事もしているから、どこかにその影響があるのかもしれません。
なんというか、小田さんはどこかの時点で明らかに『言葉』を自分のものとして大事にするようになったと思います。私が小田さんを観始めた頃というのは、パフォーマンスはもちろん素晴らしかったのだけど、(これは以前にもどこかで書いた気もしますが)歌詞を自分の気持ちを伝える手段として歌うタイプのイメージではなかったのです。それがいつの頃からか徐々にそういうことをやろうとしているように見えるようになった。そのうち、やろうとしていると思われることが少しずつ出来るようになっていき、その時その時の適した表現として使い分けるようになってくると、今では、歌だから言える、歌でなら言える、歌でしか言えない、みたいなことをやっていることがあるように感じるのです。因みに、バスツアーでの小田さんは間違いなくこれをやっていたと思っています。もう少し言えば、このソロコーナーだけでなく、今回は最初から最後まで、どの楽曲からも、小田さんが歌詞の言葉、フレーズを小田さんの言葉、声としてダイレクトに届けてくれているように感じています。前述した「『モーニング娘。の小田さくら』に『小田さくら』を入れ込んでいる」と言うのはまさにここから感じたことなのです。小田さんがすごいのは、「モーニング娘。には正解がある」にもかかわらず、モーニング娘。’26の秋ツアー『 超 Heartful 11 』にこれを完全に調和させているところなんです。地を出してしまうと異物が入り混むことになるから、乱れが生じるのではないかとも思うのですが、それが一切ない。トータルとしての『 超 Heartful 11 』の完全なる構成の完璧な一端になっている。なんでこんなことが出来るのか、私にはさっぱりわからないんです。「モーニング娘。には正解がある」この制約の中でこれが出来るのか、と。感動すると同時に、『モーニング娘。』と言うグループの可能性をここに来て尚、底知れず広げていく小田さんに空恐ろしさすら感じました。そして思うのです。このツアーの終りに、そして更にその先で、小田さんは私たちに一体どんなものをみせてくれるのか。ああ、もう、考えただけでぞくぞくしますよ!ワクワクします!ときめいちゃいます!小田さんが大好きです!大好き!!
セットリストの各曲についても思ったことはたくさんあるし、それについて全部書いてみたい気持ちもあるのですが、一先ずここでは割愛します。
あ!でも!これは書いておかないと!『 Help me ! 』も、めちゃくちゃめちゃくちゃめちゃくちゃに面白かったんです!もう始まりの「私をこのまま……」からがすごいのです!もう、ぞっとしたの!小田さんの声の力と纏う気が凄まじいんです。これって公演ごとにニュアンスとか違っていたりするのかしら。現時点で私はこれを1回しか観ていないので非常に気になっています。
私は小田さんてとても愛の深い人だなと思うのです。卒業ツアーと言うことも手伝ってか、今ツアーは特にそれが際立っているように見えます。メンバー全員でステージに立っているときの小田さんがメンバーを見る姿が本当に深くて本当に大切に思ってることがわかるんですよ。深く深く、優しく柔らかく、大切に、大切に、小田さんの目はメンバーを見つめていて、メンバーにこれからの時間の中で何があっても、どんな思いをしても、決して凍えることがないように、その深く深くまでぬくもりを、優しさを、愛を注ぎ込んでいる。その愛はきっと、必ず、いつもみんなをあたためる。そんな風に私には見えるのです。でも、そうだよな。『 超 Heartful 11 』だもの。だから『 超 Heartful 11 』なんだよな。なんというか、こんなにもタイトルに納得できるコンサートってなかなかないと思います。
あ!あと!あと!今ツアーで、小田さんの髪のストレート率が高くて嬉しいんです!キャー!かぁーんわいいーん!大好き大好き小田さん大好き!ってなっています。私は基本的にストレートが大好きだけど、下の方だけゆるく巻かれてる感じのも品があってすごく素敵で似合っていて大好きでした!小田さんてあんなに格好良くて美しくて素敵なのに可愛いとか可憐まで見せてくれるから、本当に出てきた瞬間から問答無用でドキドキしてしまいます。小田さんが大好き。
今回はね、本当に書くことに困ったんです。何からどう書けばいいのか、構成なんて考えられなかった。今この段になっても書けていないことがたくさんあるんです。とにかくステージをみて考えたことがあり過ぎる。全くまとまらない。だって、未だにわからないことが多くて、ずっと色々ぐるぐると考えている状態なんです。それなのに、私が『 超 Heartful 11 』をみられるのはあと数回。あと数回か。寂しいな。寂しい。でもきっと小田さんも、メンバーも、小田さんのファンも、小田さんに関わった人たちはみんな、其々の『寂しさ』を感じて、抱えているんでしょうね。過去のエントリーで私は「寂しさも愛だ」って書いたことがあったと思うんだけど、私はこれは本当にそうだと思っていて、寂しいけれど、その中にじんわりとしたあたたかさも感じるんです。そのあたたかさの中に入り探っていくと、祈りとか願いみたいなものを見つけることが出来るんです。
『モーニング娘。’26 コンサートツアー秋「 超 Heartful 11 」』はとっくに折り返しを迎えて、横浜アリーナに向かっているところです。うん。なんか、なんと言うか。ざわざわしますね。心が。寂しさや期待、高揚、心配、興奮、希望、切なさ、恋しさ、愛しさ……。たくさんの感情が入り混じって、ざわざわします。ざわざわしますが、今ツアーの最後まで、小田さんも、モーニング娘。’26のメンバーも、関係者の方々も、ファンも、みんながみんな、心の底から、骨の髄まで、『 超 Heartful 11 』の愛と幸せに満たされたらいいなと思います。
みんながみんなと最後まで、元気に楽しい時を過ごせますように。
私も足を運べる残り少ない公演を精一杯に目一杯にこれでもかと楽しみたいと思います。
小田さんがたくさん幸せでありますように。
小田さんがたくさんの愛を受け取れますように。
小田さんが嬉しいことや楽しいことにたくさん囲まれますように。
小田さんがいつも笑顔でありますように。
小田さんがいつもキラキラでありますように。
小田さんがいつも元気でありますように。
小田さんが大好きです!